イチローですら、嫉妬する。あるいは『何者かになる』なんて誰にもできないというお話

http://d.hatena.ne.jp/fujipon/20110929#p1



を読んでふと思い出した話。
fujipon氏(リンク先のブログ主)はプロ野球選手を『何者かになった』一つの例として挙げている。確かに、プロ野球選手になって成功し、優勝すれば、記録を打ち立てれば―周囲の人々からは『何者かになった』という扱いを受けるだろう。
だが、それでも―他人を羨んだりしないわけではない。あのイチローが―マリナーズの、あのイチローが―羨む相手がいる、それもたくさん。そう言われて信じられるだろうか? 私には信じられなかった。だが、確かに某スポーツ雑誌のインタビューで言っていた。
イチロー曰く、『プロの世界で投手として成功している選手には多かれ少なかれ嫉妬を覚える』と―



野球では(少なくとも日本では)上手いやつはまず投手にする。2番目以降を抑え投手にするか遊撃手にするか中堅手にするかは議論の分かれるところだが、一番上手いやつは基本、投手だ。(だから野村克也に「ピッチャーというものは基本、プライドが高くて一本気で目立ちたがり屋だ」、と言われる)。イチローも高校時代は投手で、プロに入ってから外野に転向した。
たぶんイチローの中では、『もっと野球が上手ければ投手をやれた』という思いがどこかにあり、『だから投手として成功してる人たちは、自分よりも野球が上手い人たち』なのかもしれない。日本で他を寄せ付けず首位打者に君臨し、メジャーで10年連続200安打を打つことなど、イチロー以外の誰にも不可能だと僕たちは考え、だからイチローは当然のように『何者かになった』代表格として語られる。でも、本人がそう思っているかは、本人に聞いてみないと分からない。



まぁ、こんな文章を書いている時点で僕も『何者かになりたい病』の患者であり、実際今も苦しんでいる。
きっと、『誰かに嫉妬する自分を嫌悪する』のではなくて『他人に対して羨ましいと思っている自分』を認めた上で、その思いをコントロールすれば乗り越えたことになるのだろうが、まだその途上だ。